長谷川泰子
昔、西村洲衞男先生から筮竹を使った易占のやり方を教えてもらったことがある。といっても筮竹はないので、西村先生のアイデアでホームセンターなどに売っているバーベキューの串を、先端のとがっているところをカッターで落として筮竹代わりにした。それで全く問題はない。ちなみに本にはコインを使ったやり方も紹介されている。河合隼雄先生がスイスのユング研究所に行かれた時、資格を得るための最後の試験でセルフselfについて聞かれた時のことがどこかの本に書かれていた。河合先生の回答をどうとらえるか、河合先生に資格を与えるのか与えないのか、ユング研究所全体の問題になり、河合先生は卦を立てられたそうだ。確かこの時はコインを使われたように思う。この時、なんの卦が出たと書かれていたか記憶にはないが、河合先生の分析家であるマイヤー先生も同じように卦を立てたところ、河合先生と全く同じ卦が出たと書かれていたのはよく覚えている。
卦の種類は全部で64通り。それぞれの卦については「易経」に解説があり、それを見て自分自身の占いたいことについての答えを考える。西村先生は岩波文庫の「易経」(高田真治、後藤基巳 訳)ではなく、「易」(本田濟著 朝日新聞出版社)を愛用していた。檀渓心理相談室には使い込まれたこの本が残っている。
易経は「四書五経」の中に含まれる重要な書物である。四書五経とは何かを辞書で調べると「中国で代表的な古典の総称で儒教で経典として尊ばれたもの」であり、四書の中には孔子の言行録である「論語」も入っている。易のことをよく知らなかった時は、なぜ“占い”が論語などと同様に四書五経の中に入れられているのかピンと来なかった。しかしこの易経を実際手に取ってみると、なるほどやはり奥深い書物だと思う。占いは別にして、ただ読んでいるだけでも十分面白い。前述の本田濟は「易」の本の中で、易経について「儒教の経書の一つである。『経』の字はもと織物の縦糸の意味。それからすじみち、道の意味になる。人の生きる道、天下国家を治める道、ひいては宇宙の奥にひそみ、宇宙を動かしている道、それを説きあかしたのが『経』である」とし、易は「第一に占筮(うらない)のテキスト」であり、「実際的な老成した処世智の書物」であり、「第三に『易』は大宇宙と小宇宙を一貫する『道』を明らかにする哲学、中国の言葉でいう天人之学である」と説明している。つまりは易経というのはどう生きるかを実際的に考える哲学の本、と言えるだろう。
卦は陰と陽の組み合わせでできている。☰は全て陽、☷は全て陰から成っており、他に☱、☳、☶、☴、☲、☵がある。この中の二つを上下に重ねたもので一つの卦になる(ちなみにこの卦はすべてWordで「うらない」と入力すると出てくる)。陰と陽というのはつまり受身的なところと積極的なところと考えられるし、受容的なところと主体的なところとも言えるし、ユング心理学的に考えれば女性性と男性性とも言えるだろう。私たちの中には積極的なところもあれば受身的なところもあり、人によって、時によって、状況によってそのあり方が変わる。こういった正反対でそれぞれ矛盾しあう要素をどのように統合していくか、どう取り入れて生きていくのかが易経の中に書かれていると言ってもいい。ある意味、とても臨床心理学的な本なのだ。
例えば「艮」という卦がある。☶を上下に重ねた卦である。この卦の大きな意味は「止まる」ということだとある。どうして止まると解釈できるのかいろいろと解説はあるが、ひとつ大きなことはこの卦が上も下も全く同じものの組み合わせだということによるらしい。「陰と陰、陽と陽では組み合わせにならない」と前述の本田濟の「易」の本には書かれているが(以降、すべて引用はこの本田濟のものから)、心理学的に考えると、上の部分、つまり意識的なところと、下の部分、無意識的なところ、が全く一致しているときには、動きがないのだ、とも考えられる。艮は「じっとしている時の心の平静を意味し」「外に向かって行動した時の心の静止を意味する」のだという。
この卦の下の部分が☶から☴に変わると、つまり無意識的なところの一部が陰から陽に変わる、受身的なところが積極的に転じるところが出てくると、蠱という卦に変わる。「蠱の字は皿の上に蟲が乗っている。食物が腐り切って蟲がわいている形。つまり秩序が崩壊したあと、何か事を起こさねばならぬ。それが蠱である」「壊れ切ってしまえばまた必ず治まるのが自然の道理であるから、占断としては、元いに亨る(おおいにとおる)」のだという。つまり止まっていて変化がなく安定が続くといつかは腐敗が生じるが、それをきっかけに虫のようにうごめく何かが無意識的なところ、下の方からふつふつと生じてくる、それが良い変化のきっかけとなりうる、というわけである。夢分析をしていると、しばしば夢に虫(ゴキブリなどのも多い)が出てくることがある。たいてい気持ちの悪い夢と受け取られるが、心の中に虫・蟲のようにうごめく何か、つまり新しい動きやエネルギーが生じてきたと考えられる場合も多い。蠱は艮の卦の下から二番目の部分が陰から陽に変わったことで得られるものだが、この部分の変化は例えばうごめきとして感じられるような身体レベルの、あるいは夢見ることで感じ取れるような無意識的レベルのものかもしれない。
ちなみに艮の卦の上の部分が☶から☴に変わったものだと漸の卦になる。「易」によれば「漸は水がひたすことで、水がひたすようにだんだん進む意味になる」「進んで往って功(てがら)のあることに当たる」ということである。蠱よりもより意識的なところ、目に見えやすいはっきりとしたところが積極的に動くようなイメージの卦となる。
陰と陽、無意識と意識、身体的なレベルと理性的なレベル、母性と父性、そんな視点を持ちながら易の本を読んでいると、とても面白い。確かに易経は「占筮のテキスト」であり「実際的な処世智の書物」でもあり「“道”を明らかにする哲学の本」だと思う。