西村臨床心理学 自我意識の芽生え

 「西村臨床心理学」として残されている文章の最後のもので、「西村臨床心理学1-11 自我意識の芽生えと自殺や死の意識」というタイトルが付けられているものです。最終更新日は2019年8月12日」です。

 

 

 

西村臨床心理学 1-11 

自我意識の芽生えと自殺や死の意識

 

 

 私の身近な人が重大なうつ状態に陥った。全く希望を無くしたように見受けられたので入院を勧めたが、かかりつけの医師は入院をそれほど勧めなかったので家で過ごすことになった。その後会ったとき、私が入院治療を勧めたときよりも少し持ち直しているように見えた。此れから次第に回復しうつから逃れられるかもしれない。うつから回復するとき一番怖いのは自殺であるというのは一般的な知識であった。現在精神科治療は全く薬物療法の時代になっている。薬物に頼る医師は自殺にどう対処するのであろうか?それは全く私の関知するところではない。今のところ自殺願望に効く薬はないわけであるから、薬物療法中心の精神医療では考えなくても良い時代になっているのでなかろうか。代わりに薬物からの離脱が難しく、そのために自殺の危険は考えなくても良いのかもせれない。

 薬物を使わない私は、うつからの回復過程に起こりやすい自殺の危険性を考えた。だから、これから良くなっていく過程で自殺願望が出てくるかもしれないので、絶対に死なないで下さいと言わなければならなかった。

 多分長い人生の中でほとんどの人が自分は生まれてきたが本当は自分なんていなくてもいいのではないかと考えたことがあるのではないか。自分というものを意識した人は必ずそういう経験をしているのではないかと思う。それが何歳で起こるかわからないが、私の場合は、はっきりわからないが、子どもから青年への変わり目だったように思う。自分を基準に考えると思春期の反抗期の始まりではないかと思う。

 自分はある、という存在感に目覚めると、その反対に自分なんか要る必要がないのではないかと思う。そこから自殺願望が発展してくるのではないか。逆に考えると自殺を考えるときというのは自分という自我意識が芽生えたことを示す内的な経験ではなかろうか。そう考えると自殺願望というのは人生の発展過程で大変重要な内的経験であることがわかる。自殺を考えたことのない人は、周囲に育まれ何の心配もなく育った幸せな人であろう。

 早い人は幼児期、小学校に上がる前後に人が死ぬということが異常に怖くなる人がある。死んだらどうなるかわからないから怖いのである。

 心の発達から考えるとこの時期は自我の主体性が発展し、自分が一番偉い、何でもできるという空想的万能感に支配されるときである。自我の主体性、主導性が強い人ほど死ぬのが怖いということになるのではないか。死は万能感をぶち壊してしまうから、その恐怖感と考えれば納得できる。主体的主導的な人ほど幼児期に死が怖くなると考えると、死が怖いとか、自分なんかいな方が良いのではないかと考える人ほど、心理学的に独立してきていると言えるのではなかろうか。

 

 

 

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