長谷川泰子
先日、少し離れたところに住んでいるAさんから電話があった。社会人として働き始めてから西村洲衞男先生の指導を受けて大学院に進学し、臨床心理士の資格を取った人だ。これまでやっていた仕事はそう簡単に辞められるようなものでもなく、資格取得後も続けていたのだが、いよいよ臨床心理士として仕事をしようと決意を固めたらしい。
檀渓心理相談室を引き継いだということで、西村先生と関わりがあった人たちと話をすることがしばしばある。以前からの知り合いもいれば、相談室を引き継いでから知ることになった人もいるが、そういった人たちから西村先生についてのエピソードを聞かせてもらう機会も多い。先生の意外な一面を知ってびっくりすることもあれば、先生らしいなぁ、先生ってそういうところがあったよねと一緒に笑いあうこともある。
西村先生が亡くなられて今年の6月で2年になるが、いろいろな人が先生との関りを経て、次の一歩を踏み出そうとしているのを感じる。自分自身も頼れる存在を失ったことで自分の足で歩かないといけないと改めて気づかされ、これまでに出したことがないようなパワーを出し始めたようにも思う。先日、西村先生を良く知るBさんと話をしていた時にふと思いついて口にしたことだが、誤解を恐れずに言えば、今となってはもう、西村先生がこの世に生きているのかいないのか、西村先生の実体があるかないかということは大きな問題ではないような気もしているのだ。おそらくそれは、私たちが意識していなくても、西村先生を知る私たちの間で、先生はいつでも何度でもよみがえり、私たちのこころの深いところに何か重要なことを語りかけてくる、そのことをどこかで実感しているところがあるからだろう。私たちは枯れることのない泉を与えられたようなものだ。
AさんもBさんも元気だ。西村先生が私たちの前からいなくなった後も、先生と関わった多くの人が自らの人生を切り開き、生きることを楽しもうと自分なりのチャレンジを続けている。先は見えないけれど、私も自分の道を進もう、まだ見ぬどこかへ向かって歩いて行こうと思っている。