檀渓心理相談室内にあったファイルに残されていた文章です。内容からすると箱庭の研究会用に書かれたもののようです。書かれた日時ははっきりしませんが、同じファイル内に残されていた資料から、平成元年ごろのものだと思われます。
箱庭表現の少ないケースについて
今日の例会のために 発言その1
西村洲衛男
今年の山王グループのロサンゼルスの研修は、フランツ・G女史のFantasyに関する話で始まった。話が終わったあと、現地の研修世話役の一人から質問があった。それはどうしたら空想や遊びの世界に入ることができるのか、ということであった。それに対するフランツ女史の答えは、明確というか、不明確というか、ただ空想の世界に意識を向けていくというのであった。質問した人の表情はわかったようなわからないような曖昧なものであった。
箱庭療法が盛んになって来たので、自分も一つ試みてみようと思って取り入れている人は多い。しかし、クライエントが箱庭になかなか取り組んでくれなかったり、してくれたとしても一回で終わったり、また、箱庭だけでドラマチックな表現が行われて、成功裏に終結を迎えたにしても、その後が続かないので、どうしたら箱庭療法を生かせるかと、困難に直面している人は少なくない。箱庭療法は広まってきたけれども、それを自分のものにしていくことはなかなか難しい。
箱庭療法を生かしていくためには、どうしたら遊びの世界の中に入っていけるか、この問題を解決しなければならない。もう長年箱庭療法の研究会が各地で行われ、学会にまで発展しているのに、箱庭療法で成功したケースを続けて発表できる人は極く少数で、大部分の人はこの問題に当面して、足踏みしている。第一この研究会を主催している私ですら、名古屋に来て以来、箱庭療法の場を持たず、もっぱら夢分析によってやって来ているのでこの問題に答える資格が充分あるかどうか疑わしい。
極く少数の箱庭療法家といえる人に聞いたところによると、一つ言えることは、箱庭の玩具集めに相当のお金と熱意を注ぎこんでいるということである。Aさんの相談室では年間5万円の予算があるという。物価の高い今時5万円では少ないように聞こえるかもしれないが、百円、2百円の玩具を探していると相当なものが買えますという。1点5百円としても100点買えるというわけである。そしてこの5万円を使うために、日々方々で玩具探しに注ぎ込んでいる関心の量は相当なものでなくては出来ない。Aさんの行為には玩具集めを楽しむ心が基本にある。玩具集めに気を遣いお金を使うことは、箱庭療法の大切な要件だと思われる。
次に、箱庭療法は空想の世界に入ることを必要とする。その時、1個の玩具、あるいは自分の気に入るもの、それが空想の世界への入り口となるのである。Active Imaginationという本を書いたバーバラ・ハナ女史は、それを説明するのに、目の前の1本のペンからでも始められると言ったそうである。われわれは1本のペンでは書くものしか思いつかないが、1個の人形、1個の動物の置物を見るとそこから空想が始まることがある。それはほんのわずかな、そしてかすかな消えやすいものであるが、それを火種として空想の炎を大きくしていくと、おおきな空想の世界が出来上がるのである。空想は炎のように勢いよく燃え上がるが、燃えてしまうと跡形もなく消えてしまい、空しくなってしまう。消滅しやすい空想の発展過程を形にとどめるのが、箱庭である。そういう意味で箱庭療法の大切な点は、玩具との出会いにある。クライエントは玩具棚に向かって玩具を探し、自分の好きなものを集めて、その時々の気分によって、好きなように配置しまとめていき、それが作品となって残されるのである。その行為は、あたかも箱庭の玩具集めに熱中している治療者の姿に全くそっくりである。クライエントは治療者の形姿を真似ているのかもしれない。
玩具にもいろいろあって空想をかき立てるものとそうでないものとがある。高価なもの、作りの立派なものが良いとは限らない。時には欠けたもの、少し歪んだものが空想をかき立ててくれる。その時々に見えてくるものが大切なのである。予算が少ない時でも、Aさんの態度があれば、そこに生きていく道が開かれるのではなかろうか。