長谷川泰子
日常生活で、たいしたことではないけどどうにも腹の立つことがある。例えば、誰かが引き出しの中のものを取り出してその後引き出しをきちんとしまわないとか、使ったものが出しっぱなしで片付けないとか、空調を効いている部屋なのに出て行くときにドアを開けたらそのまま閉めずに行ってしまうとか。よくあることで、こういうことは言い出したらきりがない。
ちょっとしたミスやうっかり、たまたまで、ということなら気にもならないが、いつもこうだとさすがにいい加減にしてよ、と言いたい気持ちにもなる。相手が家族や親しい人ならその気持ちを直接ぶつけることもできるけれど、例えば会社のようなところで相手は上司ともなると、言いたくても言えないことだってあるだろう。
私はこういうような時はたいてい「相手はしりぬぐいができない人なんだ」と言い聞かせて、なんとか気持ちを落ち着かせるようにしている。
“しりぬぐい”という言葉は、もともと赤ん坊の排泄物の世話、お尻を拭いてきれいにしてあげることの体験があって、「他人の失敗や不始末の後始末をする」という意味が生まれたのだろう。お腹の中にたまったものを出すことはできるが、出しっぱなしで自分で後始末ができない。引き出しがしまえなかったり、使ったものを片付けられなかったり、ドアを閉めないまま行ってしまうような人は、やりたいことはやるけれど、その後始末がない。お尻がふけない赤ん坊と同じで、あとから誰かに拭いてもらわないといけない。
しりぬぐいできないんだから仕方ない、そう考えて、引き出しをしまったり、片付けをしたり、ドアを閉めたりしてまわる。そんなことをしているとちょっと冷静になってくる。そのうち、自分もどこか気がつかないところで、誰かにしりぬぐいしてもらっていることがきっとあるだろうな、とも思えてくる。恥ずかしいが、ないとは言い切れない。そんなに立派な人間ではないよね、と自分で分かってくる。そこまでくると、最初の腹立ちもだいぶおさまってくるものだ。