長谷川泰子
ちょっとしたメモなどを音声入力を使ってスマホに保存しているという人がいて、そのやり方を目の前で実演してくれた。ほぼ正確に言ったとおりの文章が入力される。漢字の変換もある程度正確でびっくりした。音声入力の方が自分で書かなくていい分、断然楽ですとのこと。
スマホに音声入力の機能があるのは知ってはいたが、実際に使ったことはない。スマホに向かって一人で声を発している自分を想像すると、何だが恥ずかしいような思いもする。メモは大体手書きで済ませてしまう。
今は翻訳機能も格段に進歩している。音声入力を実演してくれた人は、そのうちスマホがあれば通訳なしでも問題なくなる、そうすると語学を勉強する必要があるんでしょうか、と言う。
そうか、そんなに進歩しているのか、今ある語学学習に関するビジネスはこの先厳しくなるのかなどと思ったが、改めて考えると、自動翻訳機能の精度がアップして機械を通してのコミュニケーションが可能になったとしても、語学学習の需要が全くなくなるようなこともないのではないか。やはり、直接やり取りしたい、機械を挟まず自分で意思を伝えたい、直接自分で相手と関わりたいという欲求は便利さとは別のところであるようにも思う。性能の良い自動翻訳の機械ができれば語学学習のニーズは今よりも減るかも知れないけれど、それでもやはり苦労しながらも自分でコミュニケーションを成立させる喜びを得たいという人も少なからずいるだろう。
先日美容院に行った時に聞いたが、今すでに髪の毛を洗ってくれる機械はあるのだという。しかしやっぱり、機械ではなく人の手で洗って欲しいという人が圧倒的に多い。「でも、これからはどうか分かりませんね。機械もどんどん進化をして、家でスマホを操作して、シャンプーなどの設定も自分でしてカットの仕上がりの希望も伝えて、美容院に行ったらすぐに機械に髪を洗ってもらって髪も機械に切ってもらう、その方が手短でいいという世の中になっていくかも知れません」と美容師さんは言う。
たまにオンラインのカウンセリングはやっているかという問い合わせがある。コロナ禍においてそういったカウンセリングを始めたところ、始めざるをえなかったところもあるだろう。しかし檀渓心理相談室ではカウンセリングは直接会って対面のみでやっていこうと思っている。いろいろな考えややり方はあると思うし、選択肢はたくさんあったほうがいい、必要に応じて選べるほうがいい。しかしこの相談室だけですべてを網羅することはできない。だからこそここでは直接会って話すやり方だけをとる。対面で話をするからこそ生まれてくる何かがある、そういう思いを抱いて話を聞いている。