長谷川泰子
最近、心理検査を希望する人が何人か続けて相談室に来た。余談だが、どういうわけか相談の申し込みは1~2週間の短い間に立て続けに来ることが多い。季節の変化や世の中の流れというようなものが関係しているのだろうか。他の相談室ではどうなのだろう。
心理検査の中でもロールシャッハテストは特に知識と経験とセンスが必要になる検査だ。テストをスムーズにやれるようになるだけでも結構大変で、結果を適切に解釈して所見をまとめるとなると相当な勉強が必要なる。最近は専門家でも簡便なやり方を採る人も多いようだが、テストを施行する側がきちんと理解しないままこういったやり方を利用して書いた所見は、読んでも何が言いたいのか分からないものが多い。せっかくテストをやってもらったのにもったいないと思う。
私の場合、学生時代に指導教官でもあった先生(精神科医)が、心理職に期待するもののひとつが心理検査だ、医者にはできないことだ、と話をされたのが印象に残り、ひとつでもできることを増やそうと心理検査、特にやっかいなロールシャッハテストはやっかいだからこそ学生のときから力を入れて勉強してきた。若い頃にがんばっておいて良かったと思っている。ロールシャッハテストを施行し解釈できるようになっただけではなく、その経験や知識はカウンセリングでも役立つことが多いからだ。
ロールシャッハテストの結果を整理する時に、反応をいくつかのカテゴリーに分類する作業がある。実際にやってみるとこれが結構面倒で、どのカテゴリーに分類すべきか悩むことがしばしばある。AとBというカテゴリーがあったとすると、ABのあいだに位置するようなものが出てくることがある。Aの要素もBの要素もあるが、しかしだからと言ってAともBとも言い切れず、どちらにも分類できない。初学者であるほどこういう反応を前にするとどうしていいのか分からず考えこんでしまう。
私はこういう反応こそ、その人らしさが強く示されていると考える。AやBにカテゴライズすることが本当に大事なことではなく、そこに表われたその人らしい何かを読み取ることが必要なのだ。世間一般によくあるような考えやものの見方から少しはみ出したところ、皆とは微妙に異なっているところと言えるだろう。それがあるからこそ苦しむこともあるが、そこにこそその人だけが持つ何か、きらりと光る何かがあると思う。
あいだにあるものを無理やり分類して名前を付けてしまうと、確かに理解できたような気にはなり安心できるかもしれない。名前がつけば、それに合ったマニュアル的な対応を作り出すことができる。それはそれで必要な場合もあるだろう。しかし臨床心理士としての私は、それではそこにある本当に大事なものを結局失うことになるかもしれないとも考える。あいだに位置することの難しさもあるが、あいだにあることも大事にしたいと考える。