長谷川泰子
5月の連休はあまり外には出ず、家で片づけをしたり、見逃していた映画をいくつか見たりして、のんびりと過ごしていた。
映画は今更ながら「かもめ食堂」を見た。公開時に話題になっていたのは知ってはいて、見に行こうかと思いながらも見逃した。以前、知人がこの映画が好きだと話していたことを思い出し、見てみようと思った。
3人の女性が出てくるが、この3人の関わり方、距離感がおもしろかった。いろいろあって同居していたり、もし明日世界が終わるとしたらその前の日には一緒にご飯を食べたいなどとも話をしていたりするのに、お互いにですます調のていねいな話し方で一貫している。名前を呼ぶときはさん付けだ。過去に何かあったのかなと、込み入った事情を抱えている雰囲気を感じさせながらも、だからと言ってお互いに「何があったの?」と一歩踏み込んで聞くようなことはしない。自分から「実は…」と話し出すわけでもない。よそよそしいと言えなくもないが、個人のパーソナルな領域を尊重した、付かず離れずの適度な距離感を維持したつながりにも見える。
複数の女性同士の人間関係は難しいとよく聞く。カウンセリング場面でもその苦労・苦難が話題になることがある。かもめ食堂の3人のような一定の距離をおいた関係は、若い時にはやりにくい、居心地悪いもののようにも感じられるかもしれない。しかし大人になってある程度の年齢に達すると、むしろ気楽で心地よく感じられるところがあるような気がする。つながりを維持していくための賢明なやり方のひとつのようにも思う。
こんなふうに考えたのも、熊本旅での経験が関係している。
女性4人での旅だったが、それぞれの希望がありそれぞれの事情もあって(せっかく熊本に行くならもう少し長くいたいとか、ついでに行きたいところがあるとか、飛行機で行きたいとか新幹線がいいとか)予定を統一するのも面倒で、同じ名古屋から行くのであっても現地集合・現地解散にした。熊本駅に集合し、西村先生の関係のところを一緒にまわり、その日の晩御飯は皆で一緒に食べたがそれで解散、ホテルも好きなところを各自で予約したので全員別々、行きも帰りもみな見事にバラバラで、誰も同じ乗り物に乗り合わせることなく行って帰ってきた。
こんなふうに一緒に行動したけどそれぞれ別々でと人に話をすると、びっくりされたり、おもしろいと笑われたり、せっかくだから一緒にいけばいいじゃないのと言われたり、いろいろな反応がある。ただ、実際にやってみると、これがとても楽で良い。グループ旅行とひとり旅のいいとこ取り、という感じである。共通の目的に関して動くときはそれなりに一致団結もし、そのぶん縛りもあるけれど、あとは勝手気まま、自分の好きなようにアレンジすればいい。ひとり旅を好んでする私でも楽しめるグループ旅行で、私は皆と別れた後も熊本に残って装飾古墳に関する施設を見に行ったり、阿蘇までドライブしたりと、自分だけのスケジュールもしっかり満喫してきた。
もちろん、こういったやり方を好まない人もいるし、どれがいいというものでもない。ただ、ある程度仲が良くてもお互いさん付けであったり、ですます調で話をしたりする関係性に違和感を持たない人には心地よく無理のない旅の仕方だと思う。あるいは、中学生の時に女友だちと一緒にトイレに行くことがすっとできなかったような人も、こういうやり方が合うのではないか。