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引き継ぐということ

長谷川泰子

 

 前室長の西村洲衞男先生が亡くなられてもうすぐ3年になる。

 3年前に檀渓心理相談室の室長という立場になり、自分にとっては予想もしなかった急な展開で、目の前の現実についていくのに必死だった。この相談室を何とか続けていきたいという思いは強かったし、相談室をやらせて欲しいと申し出たのは確かに自分なのだが、一方で“室長”という立場にしっくり来ない感じがあったのも事実だ。開業でやっている他の心理士は、まずは開業しようという意志と決意があって自分の相談室を持つのがほとんどだろうから、開業の準備に奔走しているうちにあるていど室長としての心構えが出来上がってしまうのではないかと想像する。しかし引継ぎの場合は、開業準備のような実際的な動きが省略されてしまう分、自発的な意志や決意を十分に高めるチャンスが持てない。たしかにすでにあるものを引き継ぐのであれば、必要なものはすでにそろっており、お金をかけて椅子や机、箱庭の道具など買い集める必要はない。非常に恵まれた環境だが、その分、実際に仕事をはじめてから様々な不具合を感じるところが出てくるように思う。

 引継ぎの場合の問題点のひとつは今あるものに自分を合わせていかなければならないということだ。いや、合わせる、ということだけでは不十分なのである。この仕事、心理臨床・カウンセリングの分野においてはその人の個性・性質が重要視される。相談に来られた方がその人らしさを無くさずに、その上で孤立せず周囲とも調和していけるような、今・これからの生き方はないかと模索する。その仕事に関わる自分自身が今あるものに合わせることだけを考えていては、ここが生きた相談室にはならない。心理士の方がもつ個性は一種の商売道具のようなものなのだ。だからこそ、自分を抑えてすでにあるものにただ合わせるだけではだめで、私と引き継いだ相談室の間に一致点を見出して一体になることが必要になってくる。本当に自分がこの相談室の室長という役割を引き受けるために、自分も殺さず相談室も檀渓心理相談室のままで行くために、いろいろな作業が必要だったように思う。

 こういうことが言えるようになったのも、ある程度の時間が経過したことが大きいかもしれない。先日の熊本旅の経験も生きている。ひとつの責任を果たしたような思いもあるのだ。実際、熊本から帰って、相談室を引き継いでからずっとあった腰痛が完全にとまでいかないにしても、かなり良くなったのだ。

 なんとか3年やってきたが、これも大きな流れの一部だろう。そう思ってこれからもこの相談室と一緒に歩んでいきたい。

 

 

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