長谷川泰子
先日、将来臨床心理士になりたいという中学生の女の子2人から質問を受ける体験をした。臨床心理士という仕事一般について(何をするのか、どうしたら資格が取れるのか、など)についても聞かれたが、「どういう人がこの仕事に向いていると思うか」「どういうときにやりがいを感じるか」「なぜ臨床心理士になろうと思ったのか」など、個人的な意見や体験などもいろいろと聞かれた。熱心な態度に臨床心理士になりたいという気持ちの強さを感じ、私も好きな仕事について話をする楽しさもあって、質問に答えるのに力が入った。
この仕事が好きで、常々こういう仕事があって良かったと思っているが、振り返るとこの仕事のおもしろさを実感できるようになるまでにはかなり時間がかかった。若い頃に、経験豊富なある先生から「この仕事は一人前になるために10年15年かかる」と言われたことがあったが、確かに私はスーパービジョンには15年近く通い、一人前になるまでに長い時間が必要だった。それ以前にはこの仕事のおもしろさが分かる領域まではとても踏み込めていなかったように思う。大学院を出て資格を取ったとしてもそれはやっとスタート地点に立ったというだけで、一人前になるためには10年以上の長い時間、こつこつと修行し続けなければならない。臨床心理士にはそこを耐えるだけの自我の強さが必要になる。
河合隼雄先生の自伝「未来への記憶」のなかで、アメリカに留学中にクロッパーの助手をしていた時のエピソードが語られている。ある時、大学院の学生がカウンセラーになるために臨床心理学の勉強にきたのに、それとはあまり関係のなさそうな、臨床に役に立たないことも大学院では勉強させられるとクロッパーに不満を漏らした。それを聞いてクロッパーは「臨床家の自我の強化のために役に立っている」と答えたという。
臨床の仕事のためには、経験を積むことや学び続けることがもちろん必要だが、それだけでなく「自我の強化」も確かに重要な要素だと感じる。いくらスーパービジョンに通っていたとしても、クライエントの前ではいつも自分ひとりだ。スーパーバイザーが横でアドバイスを与えてくれるわけではない。その場で自分で考えて対応しなければならない。冷静さを保ち、現実を見失わず、つらい苦しい話を聞き続けて考続けるためには、何と言っても自我の強さが必要になる。教育分析の目的はいろいろあるが、「臨床家の自我の強化のため」というのも大きな目的のひとつだろう。
長い修行が必要になる大変さはあるが、一人前になるまでの様々な過程を厭わず取り組むことができれば、自然と自我は強化されていくところもあるかもしれない。