長谷川泰子
先日、本屋で「沖縄の生活史」(石塚昌家・岸政彦監修 沖縄タイムス社編 みすず書房)という本を見つけた。A5サイズの本で、厚さがなんと6センチを越える。この本1冊で自立するぐらいの厚みだ。しかも中身は2段組である。
沖縄が日本復帰50年を迎えたのを機に沖縄タイムス社が企画し紙上に掲載したものをまとめた本で、背表紙には「沖縄タイムス紙上での募集に応えた『聞き手』たちが、それぞれ思い思いの『語り手』を選び、その人生を聞き取って生活史として仕上げた(中略)。計100篇の生活史がここにまとめられている」と本の紹介がある。聞き手にはできるだけ質問をせず語り手が語りたいことを語ってもらうように、ただひとつ、もし可能なら復帰の日に何をしていたかを聞いて欲しいとお願いをしたそうだが、インタビューを職業にしているのではない普通の人々が、自分で選んだ身近な人に話を聞いたものをまとめた本というのは今までになかったのではないか。本の帯には「100人が語り、100人が聞いた、沖縄の人生。たくさんの小さな声を織り上げた、膨大な聞き書き集」と書かれていて、人の話を聴くことを職業にしている自分には無視できない本のように思い、すぐに購入した。
それから空き時間を見つけて読み進めているのだが、内容が豊富で簡単には読み終わりそうにない。今はやっと3分の1程度の読んだところだ。いろいろと思うことも多いのだが、その中で「ゆんたく」という言葉がしばしば出てくるのが印象的だ。
「ゆんたく」というのは沖縄の言葉で「おしゃべり」のことである。この本を読んでいると沖縄の人にとって「ゆんたく」は重要な生活の一部であることがうかがえる。主要な娯楽のひとつとも言えるかもしれない。どの語りで出てきたエピソードだったかは忘れたが、終戦後の生活についての話のなかで、楽しかった思い出として一晩中「ゆんたく」をしながら過ごしたことを語っている人もいた。
監修者の一人の岸はまえがきで「本書をお読みになって疑問を持つ方もいるかもしれません。沖縄戦や戦後の記録を残すということは、通常はしっかりした資料に基づき、事実関係をできるだけ細かく特定する、ということを意味します。でもここに収められているのは、普通の一般の個人の、記憶と感覚だけに頼って語られた、まるで『ゆんたく』のような語りばかりなのです。(中略)そこには教科書的な確定した知識や、あるいは歴史学上の新たな発見などは少ないかもしれません。それでも本書の膨大な語りはどれも、沖縄の戦後を生きてきた人びとの、かけがえのない経験と記憶の語りなのです」と記している。「ゆんたく」のような語りばかり、というだけあって、沖縄の言葉で語られ、記されているものが多い。確かに客観的で事実関係が証明された公式な文書ではないが、生の語りであり、ゆんたくのような語りだからこそ、語られる何かがあると思った。
おしゃべりは議論とは異なる。特にテーマがあるわけでもなく、結論もない。その場の雰囲気や思いつきで話はどんなふうにも流れていく。何を話すというわけでもないので、後から思い返してみると、何を話したのかはっきりと覚えていないことも多いだろう。しかし楽しい。ゆんたくのつながりは、前回のブログで書いた「マザーツリー 森に隠された知性をめぐる冒険」という本に書かれていた森の木々が持っている地中のネットワーク、コミュニケーションを連想させるものがある。何かを生み出すわけでもないただのおしゃべりだが、人が生きていくための重要な土台であり、人生を支えるものとも言えるのではないだろうか。