長谷川泰子
19世紀の精神科医学者にジャネという人がいる。フロイトとほぼ同時代に活躍したフランスの精神科医で、精神医学の歴史を語る時には必ず登場する有名人だ。
ジャネの考えの中で重要なもののひとつに「心的エネルギー」をめぐる説がある。ジャネはこの概念を使ってノイローゼやヒステリーなどの理解を深めた。ジャネの学説についての解説・検討は私の手に余ることだが、この「心的エネルギー」という概念は、日常生活での自分自身の行動を理解、というか言い訳するのに便利なところがあって、私にとってはありがたい概念である。
忙しくて余裕がなくなってきたりすると、私の場合、どういうわけか必ずといっていいほど、服装などに注意が向かなくなる。Tシャツやセーターなどを裏表に着たり前後ろ反対に着たりしてしまう。カーディガンやブラウスなどのボタンを掛け違えて着てしまい、どこかでトイレを使った後の洗面所の鏡を見て、あっと気がつくこともある。日中、着心地に違和感はあっても、服装に注意が向いていないせいか、着ているものを改めて確認してみようという気持ちが起こらないのだ。他のことに気をとられたまま一日が過ぎてしまう。
数年前、公認心理師の資格試験の前は特にひどかった。第1回の試験のために過去問もなく傾向がつかめない。しかも試験などというものは20年以上前に受けた臨床心理士の資格試験が最後だ。失敗できない、失敗したくないという思いで緊張も高くなりストレスフルな状況にあったのだろう、試験前にはシャツを前後ろに着たりボタンを掛け違えたりするようなことが頻発した。
自分ではこういったことはストレスによって心的エネルギーが低下して起こる現象だと理解している。ボタンを掛け違えたまま気がつかずにいるなど恥ずかしいことだけれど、エネルギーが低下しているから、もう仕方のないことなのだ。状況が変わってストレスが軽減すれば自然になくなる一時的な「症状」であるが、ストレスを溜め込んだままでいるより何らかの形で発散できたほうが良いだろうとも思っている。
ストレスフルな状況に陥った時、何に注意が向かなくなるか、どんな症状が現れるかは人それぞれ異なる。そういったところにもその人らしさ、個性が現れているようで興味深い。私の場合、必ず服装のような表面的な部分を整えることがおろそかになるが、表の部分なんかどうでもいいじゃないかと目に見えるところや飾りの部分、体裁などを軽視しがちなところがあるのかも知れない。だが、表面をあまり軽視しすぎると先日経験したようにセーターを前後ろに着たまま人前に出て一日を過ごすことにもなってしまう。やはり表面も中身もそれなりに注意を向ける必要があるようだ。