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会う努力

長谷川泰子

 

 少し前のことだが、知人数人で食事をした。仕事も年齢もばらばらだが気が合う者同士で、以前は時々会って食事をしていたのだが、コロナのせいで5年ぐらいそういう機会が持てずにいた。

 翌日、その中のひとりが「どうでもいいような意味のない話ばかりしていて何を話したのか全然覚えていないけど、とにかくすごく楽しかった」と言っていたのが印象的だった。確かにもちろんテーマも結論もない、流れにまかせたどうでもいいようなおしゃべりばかり、久しぶりに会ったからといって特別な話をしたわけでもない。けれど私も彼女同様、とにかく楽しかった。

 

 いつも一緒に勉強会をしている仲間がいる。はじめは全員そろって対面で定期的に勉強会を行っていたが、メンバーのひとりが沖縄に引っ越しをして、それからは彼女だけがオンラインで勉強会に参加することになった。

  オンラインは確かに便利だ。オンラインが利用できなければ、引越しをした彼女とも一緒に勉強会を続けていくことはできなかった。しかし便利ではあってもオンライン特有のやりにくさは確かにある。ワンテンポ遅れた反応、相手の顔が見えない不確かさ、場の空気を共有する難しさ。オンライン参加している彼女とはずいぶん前からの付き合いだが、相手のことを知っていても、やはり目の前に実体がないまま会を続けていくことへの不安がないわけではない。そこで先日、勉強会のメンバーが彼女のいる沖縄に飛び、久しぶりに全員そろって対面での勉強会を開催してみた。それなりのお金と時間をかけての勉強会で、オンライン利用よりかなり贅沢をしたと言える。

 やってみて、ずっと少人数の固定メンバーで会を続けてきたおかげだとは思うが、勉強会の質はオンラインであろうとなかろうとそれほど変わらなかった気がする。それを実感できたのは今回の沖縄行きのひとつの成果だ。ただ同時に、時々でもいいから直接会って、対面での勉強会を続ける必要もやはりあると強く思った。どうでもいいような意味のない話、流れにまかせた気ままなおしゃべりはオンラインではできない。しかしそういうおしゃべりをして共に過ごす時間を持つことがつながりを支え、明確な目的を持った集まりの土台となるのではないか。

 会うためにはそれなりの努力を要する。しかしそれを省くことはできない。それを実感した今回の沖縄行きだった。

 

 

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