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共感的理解

 少し前に、ダンサーで俳優としても活躍している田中泯さんのインタビュー記事を読んだ(THE BIG ISSUE日本版 第480号)。田中泯さんは映画「PERFECT DAYS」にもホームレス役で出演し、ダンスを披露している。短いけれどインパクトがあるシーンで、映画を見たのは数ヶ月前だが、今も強烈な印象が残っている。

  インタビューの中で、田中さんは言葉と身体の関係性について「僕たちは、もしかすると言葉を使いすぎてしまっているのかもしれない」と語っている。「共感を示す言葉を口にする時、本当にその人を心から、身体から共感しているのだろうかと」という言葉が心に残った。

 私が学生の頃、心理臨床における「共感的理解」の重要性が盛んに強調された。相談に来られる人の話を共感的に聞けとしきりに言われたが、私は学生の時も、臨床心理士として仕事をするようになってからも、この「共感的理解」というのがすんなり飲み込めずに困った。カウンセリングにおいて共感的理解が重要だというのは分かる。しかしそんなに簡単に共感なんてできるのだろうか。共感というのは、共に感じる、同じように感じるということだろうが、実際に体験をした人と同じように感じるなんて、そんな難しいこと、やれといわれてもすぐにできることとはとても思えない。共感的理解が大事だと言いながら、共感とは何か、どうすれば共感的に話を聞くことができるのかを誰も教えてくれない。なんとか理解したい、しなくてはいけないとあれこれ調べたり、人に聞いたりもしてみたのだが、納得する答えはなかなか見つからない。

 相談室の前室長の西村洲衞男先生にも共感的理解について聞いてみたことがある。しかし「とにかく一生懸命クライエントの話を聞けばいいんだ」という答えで終わってしまい、それだけではうまくいくように思えないから困っているのに乱暴な答えだなぁと、余計もやもやした気持ちになったのを覚えている。スーパービジョンに通い始め、いろいろなことをひとつずつ学ぶうちに、共感的理解ってこういう感じだなという自分なりの理解が少しずつ見えてくるようになって、焦りやもやもやはだんだんと減っていったように思う。

 インタビュー記事を読んで「共感」をめぐる昔の体験を思い出し、改めて共感ということについてあれこれ考えた。今まではこのテーマに触れると、共感的理解の重要性を強調しながらどうしてそのことについてもう少し突っ込んだ説明がないのかという、かつて抱いていた不満が思い出され、もやもやを抱えて困っていた自分を正当化する気持ちばかりが前面に出てきていた。今回もはじめは同じようなところであれこれ考えていたのだが、途中でふと、そもそも共感についての説明、うまい共感の仕方の解説なんてあるだろうか、と思った。

 この仕事に必要なものは何かと聞かれたら、私は知識・(専門家としての実践的な)経験・センスの3つだと答える。もし更にもうひとつ付け加えるなら、体力だ。どれか1つだけでもだめで、その3つ(あるいは4つ)が揃うよう努力することが大事だと思っている。共感、あるいは共感的理解も、知識だけでなく、経験やセンス(更に言えば体力も)に関わることで、臨床心理学を学び始めたばかりのひよっこが言葉だけの説明で分かるようなものではなく、分かっていいものでもないのだ。とある有名な臨床心理の先生が「説明されないと分からないような人間は説明したって分からない」と言っていたと聞いたことがある。極端な言い方だが、ある意味、真理を突いているところがあるだろう。

 そう考えると、西村先生の「とにかくしっかりとクライエントの話を聞けばいい」という言葉も乱暴なものではなく、むしろ十分な説明だと言える。「共感を示す言葉を口にする時、本当にその人を心から、身体から共感しているのだろうかと」と田中泯さんはインタビューで問いかけているが、頭だけ、理屈だけの理解は、共感とは異なるものなのではないか。

 

 

 もうすぐ西村洲衞男先生の命日である。西村先生って、あれこれと深いことを考えているのにそれを細かく分かりやすく説明することにあまり関心はなかったな、こちらが根掘り葉掘り聞いてやっと少しだけ先生らしい深い考えが垣間見えるような感じだったな、と改めて昔のことをあれこれと思い出したりもした。

 

 

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