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カジの木

 先日、知り合いに勧められて「倭文(しづり) 旅するカジの木」というドキュメンタリー映画を見た。

 倭文(しづり)は日本書紀に出てくる幻の織物のことで、神聖な力を持つとされていたようだ。この映画ではその倭文(しづり)とは何かを考え、衣服の始原をたどり、古代、木綿の原料となっていたカジの木のルーツを探っている。もともとは中国南部が原産地らしく、日本には中国から九州に入ってきたルートと、台湾から沖縄に入ってきたルートが考えられている。パプアニューギニアやインドネシアのスラウェシ島などでは、今でもこの木を使って衣服を作っている(樹皮をはいで、叩いて伸ばして布のようにする)ところがあるらしい。

 映画の中ではこの木から糸を作り、それを織って布にしていく過程も見せていたが、実際には日本ではもうこの木から服を作ることはなく、カジの木を目にすることもあまりないと思う。葉の形が特徴的な木だが、私もこの木を見た記憶はない。ただ、カジの木は昔から神聖な木という位置づけだったようで、映画の中では諏訪大社の神紋(神社の紋章、家紋のようなもの)にカジの葉が描かれていることが紹介されていた。昔ほどではないだろうが、今でも日本のあちこちにひっそりとある木なのかもしれない。

 映画を見ていて、本筋とそれるかも知れないが、個人的にはどうして諏訪大社がカジの木を神紋としているのかに興味を持った。私は以前から縄文時代の土器や土偶が好きで、それを見るためにあちこちの博物館に出かけているが、諏訪周辺は縄文遺跡が多く、これまで何度も訪れている。その度に諏訪大社にも立ち寄り、神紋も目にしていたはずだが、カジの木が描かれていたとは全く知らなかった。

 諏訪や八ヶ岳の近くでは、他の地域にはないような個性的で素晴らしい土器や土偶が数多く発掘されている。現在、国宝に指定されている土偶は5体あるが、そのうちの2つは諏訪近くの茅野市で見つかったものだ。また、諏訪の南の方には良質な黒曜石が採れるところがあり(黒曜石は刃物として使われており、縄文遺跡から多数発掘されている)、そこで採れたものが全国各地に運ばれていっているようである。現地の博物館の説明を読んで知った(分析をすればどこで取れた黒曜石か分かるらしい)。諏訪のあたりは縄文時代から人が集まるところで、独自の文化があったのではないか。また、諏訪大社は古事記にも名前が出てくる建御名方神(たけみなかたのかみ)を祀った神社だが、当時、有力な豪族がいたからこそ、こういった大きな神社ができたのではないか。こういう場所にある大きな神社の神紋になぜカジの木を選んだのだろうか。カジの木からできた布は非常に明るい白い色をもつようだが、古代の人にとってその白さが闇に立ち向かう神聖な力を持つと感じられたのかもしれない。

 

 そんなことを考えながら映画を見ていたのだが、最後にエンドロールが出てくる頃になって、あっと思った。相談室の玄関に額に入れて飾ってあるあの葉っぱは、カジの木の葉ではないだろうか。

 約4年前、前室長の西村洲衞男先生が亡くなられた後、先生の面接室の整理をしていた時に、机の上に積まれていた本の間からメモと一緒に一枚の葉っぱが出てきた。メモには「沖縄の七夕の短冊に使う葉っぱ」と書かれてあった。おそらく西村先生が沖縄で手に入れた葉だろう。先生は沖縄が好きで何度も行かれていて、時には遠く与那国島までも足を延ばされたりもした(「与那国に行ってきました」というエッセイあり)。花や植物が好きだった西村先生が残されたものだと思うと、この葉も大事にしたいという気持ちになり、早速メモと一緒に額に入れて玄関に飾ることにした。その葉がこの映画に出てきたカジの木の葉にそっくりだと、映画の最後になってやっと気がついた。

 改めて調べてみると、かつては沖縄に限らず七夕の時にはカジの葉を短冊としてつかっていたようだ。やはり玄関の葉はカジ木の葉だろう。七夕は織姫と彦星が出会う日であるが、織姫だからこそ、布や衣服に関係があるカジの木の葉っぱが使われたのであろうか。

 

 それにしても、4年も名前も知らずにこの相談室に飾っていた葉について、思いがけないところから知識を得て、びっくりしている。名前も知らずに飾っていた葉が、古代から大事にされていたカジの木の葉だと知ってなんだかうれしく、またたった一枚の葉っぱではあるが、妙に誇らしい気持ちにもなった。