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見えない支え

 子どもの頃から運動が苦手だったこともあり、スポーツを見て楽しむ習慣がない。日ごろテレビをほとんど見ないこともあって、かなり盛り上がっていたらしいパリオリンピックも全く見ないまま終わった。野球やサッカーは人気のスポーツだが、試合時間が長く、私にとっては最初から最後まで見るのは至難の業だ。

 ところが今年、知り合いの方のお孫さんが選手として甲子園に出場すると聞いて、初めて高校野球に関心を持った。今まで、高校野球にも全く関心がなく、愛知県代表の試合結果すら気にしたことはなかったのだが、親しくしている人に関りがある人が出るとなれば話は別である。仕事etc.でリアルタイムの観戦はできなかったが、頻繁に試合の進み具合をチェックし、後からネットの記事なども検索し、試合のハイライトシーンは何度も見た。高校野球というのは、こんなふうに普段は野球を全く見ない人でまでもが、自分の住んでいる県の代表というだけでなく、出場する選手たちの知り合いの知り合いといった些細な関係だけで、それぞれが心を熱くし、その熱量で支えているようなものなのかもしれない。今までこんな夏の暑いさなかに、わざわざ野球なんかやらなくても、と若干否定的に見ていたのだが、自分自身で体験してみてちょっと違った見方もするようになった。

 

 学生時代の友人が、もう20年以上、バレエのレッスンを続けている。大人になってから始めた習い事であくまで趣味のバレエだが、彼女が発表会に出るというので見に行ってきた。遠方に住む友人なので、行くとなればどうしても1泊することになる。

 彼女のレッスン仲間も皆バレエが好きで熱心に続けている人たちばかりのようだが、結局はどこまでいっても素人の発表会である。それを見るためにわざわざ1泊で出かけるというのも大げさかもしれないが、年齢を重ねてくると、会いたい人と会うことにお金を使うことをそれほど気にしなくなるようだ。友人が熱心にやっていたのは知っていたし、一度見てみたいとも思っていたので、ちょうど良い機会だと思って出かけて行った。

 会場は小さなホールで、見に来ている人はステージ上の人たちの関係者ばかりだろう。発表会に出ている人は大人ばかり、びっくりしたことにかなり年齢が高い人もいるようだ。どうしたってプロのバレエを見るのとは全く異なった気持ちになる。受身的にただ見ているだけではない。見知らぬ人の踊りでも、うまくいきますように失敗しませんようにと祈らずにはいられない。何もしていないけれども心はせわしく動き、ステージ上で行われていることに自分も参加しているような感じになる。他の人もおそらく同じような心もちになるのだろう、会場全体が妙な一体感に包まれて、自分が体験したばかりの高校野球を連想した。

 おそらくこんなふうに、表立って現れないところにある多くの人々の気持ちや支えによって動いていくものが、私たちの周りにはたくさんあるのではないか。甲子園やバレエの発表会といった、ハレの舞台だけのことではない、これと同じようなことを身近なところで、きっとあちこちで、知らぬ間に体験しているのではないかという気がした。

 

 会場全体の一体感を伴った祈りが通じたのだろうか、ステージに登場した人たちは、日ごろの成果を見事に発揮し、大きなミスもなく、無事に発表会は終わった。ちょっと不思議な満足感を体験したように思った。

 

 

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