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化学反応

 高校時代、体育のほかにもうひとつ苦手な科目が化学だった。

 原子や分子というものがどうにも理解できない。原子はそれ以上分けることができない最小の単位だと教えられても、目に見えるものでもないし、本当にそんなものがあるのかなと思ってしまう。教科書にはたしか原子の構造を示した図も載っていて、原子の周りに電子が飛んでいるなどとも説明されたような気がするが、どうにも飲み込み難い話だった。そんなふうにぐるぐる飛んでいるものを持っているものが集まって、ひとつの物質を作るというのが理解できない。信用できない、と言ってもいいかもしれない。説明されても本当のことのように思えないのだ。原子や分子の存在は化学の基本で、その基本が飲み込めないのだから、どうしても化学が苦手となってしまう。

 試験をクリアするために、納得が行こうと行くまいと教えられることを無理やり頭に詰め込んで、なんとか高校生活を終えたが、今でも化学的なものの見方・考え方は理解できないままだ。

 ただ一方で、心理学と化学は似ているところがあるようだとも、化学の発想は理解できないながらも、なんとなくそう思う。原子や分子など目に見えるものでもない、本当にそんなものがあるのか、という私の疑問はそのまま、自我や無意識といったいろいろな心理学の概念に対しても当てはめることができるだろう。それにユングが重要視して、こころの動きを表すものとして解説をした錬金術は、後に現代の化学の発展の基礎を築くことになっているのだ。

 カウンセリングに来る人がいる。定期的に会って、いろいろと話し合う。しばらくそれを続けていると、いろいろなことが起こってくる。相談に来た人自身に変化が生じることもあれば、その人の周りに変化が起こることもある。新しい出会いを体験したり、偶然の出来事が重なったり、いろいろな発見をしたりすることもある。今までなかったような考えや、新しい見方が生まれてくることもある。

 化学はさっぱり理解できないが、カウンセリングという場での出会いによって起こる化学反応があると思う。どういう反応が起こるかはやってみないと分からない。同じ反応が繰り返し起こることもない。反応はいつも一回限りで、予測もできず、法則もない。そこは化学とは大きく異なるところだろう。

 

 

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