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犬も歩けば棒に当たる

 先日、読んでいた本の中に他の本から引用部分があり、その内容に興味を持った。引用元の、もともとの本も読んでみたいと思ってインターネットで検索してみると、近いところでは岐阜県図書館が所蔵していることが分かった。岐阜県美術館には何度か行ったことがあって、その隣に図書館があることは知っていた。ちょっと遠いけれど、行けない場所でもない。連休中に車を走らせ行ってきた。

 私が読みたいと思った本は閉架書庫にあり、本を出してもらうのに少し時間がかかった。カウンンター付近に随筆を集めた本棚があり、そこに並んだ本の背表紙を見ながら待っていたが、こういう時に限って読んでみたいと思うようなおもしろそうな本ばかり見つける。「こういう時」と言ったのは、今は目の前に読むべき本がいろいろとあって、新しい本に目を通す時間をすぐには見つけられそうにないという状況だからだ。遠方の図書館なのでここで本を借りるのも現実的ではない。お目当ての本も、その場で読んで、必要な部分はコピーを取って帰ろうと思っていたのだ。

 もともと随筆、エッセイの類は好きで、たとえば夏目漱石は小説よりも随筆を好んで読む。随筆ばかり集めた本棚が気になるのも当然だ。本のタイトルに惹かれて手にとって目次などを見てみると、ますます読んでみたいという気持ちが強くなる。少し余裕ができたらぜひ読んでみようと、いくつかの本のタイトルをメモして帰った。

 「犬も歩けば棒に当たる」とはこのことか、普段行かないようなところに行くと思いがけない発見があるものだな、と思ったのだけれど、改めて調べてみると、もともと「犬も歩けば」のことわざは、じっとしていれば良いものをわざわざ出歩くから災難に遭う、という意味で、後になって、何か行動を起こせば思いがけない幸運に出会う、という意味にも使われるようになったらしい。お目当ての本はやや期待外れで、わざわざこのためだけに岐阜まで行ったのにその甲斐がなかったのだけれど、面白そうな本を見つけたり、ことわざに関してちょっとした知識を得たりしたのは、小さな幸運、とも言えなくもない。

 

 新しいものとの出会いが楽しみに感じられる場合もあれば、新しいものは未知のものであって、それまであったバランスを崩すものに思えて不安になることもある。カウンセリングに来て話をするうちに、はじめは「災難」としか感じられなかったような出来事が、「幸運」のきっかけであるように感じられることもある。良いように見えるものがいつも良いものでもなければ、悪いように見えるものがいつも悪いものとも限らない。犬が棒に当たったのは災難でもあるが、それが新たな発見につながることもある。

 起こった出来事、事実は変わらない。しかしちょっと違った見方をしてみると、新たな世界が開かれることもある。

 

 

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