夏の終わりに知人から扇子を貰った。太陽と月のあまり見ないちょっと斬新な絵柄のものだが、知人は「長谷川さんにぴったり!」と思ったのだという。ぜひ使って欲しいとプレゼントしてくれた。
どこがどういうふうにぴったりなのか当の本人にはよく分からないが、素敵な絵柄で、プレゼントしてくれた彼女の気持ちに応えるためにもぜひ使いたいと思っていた。しかし今まで扇子を使う習慣がなく、持ち歩いていても、どこでどういうふうに取り出して使ったらいいのかよく分からない。結局、扇子を開くチャンスをあまり見いだせないまま夏が終わってしまった。
普段使わないものをどう使っていいのか分からないのは、困った時にもらうアドバイスも同じかもしれない。
悩みごとや困りごと、そこまでいかなくても日常生活でのちょっとした愚痴を話すと、こうしたらいい、ああしたらいい、とアドバイスをもらうことがある。中にはなるほどその手があったかと、はっとするようなアドバイスもあるだろうが、そう言われたってそれができないから困っている、と思うようなことも多い。相手は親切で言ってくれていると思うと、それ以上、あれこれと言うこともできない。
聞いている方もつらい話を聞くのは落ち着かない気持ちになるのだろう。だからこそ、ついついアドバイスがしたくなる。しかし、本人になじみのないやり方、慣れないふるまいや考え方などは、それがいくら良いものに見えても、取り入れることは難しい。どんなにいい方法でも取り入れること、使うことは難しいのだ。
本当は、何かを解決してほしいのではない、ただうんうん、そうだよね、そうかそうかと話を聞いてくれること、そのことの方がはるかに大事なことなのかもしれない。そうやって話を聞いてもらえると、それだけで気持ちがすっきりするし、自分の味方がいるように思えて、心強い。そこでまた元気を取り戻して、現実に向き合い、どうしたらいいか自分なりに考えることができるようになったりもするものなのだろう。