TVでチョウと人間の交流を映した短い映像を見たことがある。
自宅でアゲハチョウを羽化させ、その後も自宅内で放し飼い(というのだろうか)にしていた人がいて、その様子を家族が撮影したものだったと思う。ずいぶん昔に見た短い映像だが、今も良く覚えている。
チョウは飼い主(という言葉が適切なのだろうか)が帰って来ると、その周りをひらひらと舞う。チョウの喜怒哀楽は分からないし、喜怒哀楽があるのかも分からない。しかしひらひらと舞っている様子を見ると、飼い主の帰宅をこころから喜んでいる様子が分かる。犬や猫が飼い主が帰って来ると、走り回ったり飼い主に跳びついたりするのと同じような感じだ。飼い主がソファに座ってTVを見ていたりすると、チョウはその肩にとまる。飼い主もそんなチョウがかわいいのだろう、いろいろと話し掛ける。やはりチョウの表情は見えないし、表情があるのかも分からないのだが、じっと動かず肩にとまっている様子を見ていると、飼い主の話をうっとりと聞きほれているように見える。
チョウがちゃんと人間を見分け、感情表現らしきものをすること、そしてチョウと人間がこころを通わせることにびっくりした。人間がチョウに話し掛けてもチョウからなにか返ってくるわけではないが、しかし1人と1匹が一緒にいるところを見ると、紛れもなくそこにはコミュニケーションが成立し、こころが通い合っている様子が見て取れた。
チョウの寿命は短い。せいぜい数週間である。しかし、具体的な数字は忘れてしまったのだが、このチョウは本来寿命と言われているよりも長く生きたそうだ。最後は飼い主の人に見守られながら亡くなったという。最後は飼い主の人も大号泣だったらしい。短いけれど、深い関りがあったのだろう。
何にこころを見出すかは、その人によって異なる。人とは限らない。相手は動物だったり、植物だったり、自然一般の場合もあるし、なかには車や電車にこころを見出す人もいるのかもしれない。しかしどんなに短い時間でも、誰かと、何かとこころを通わせた記憶は、いつまでも人を温かくする。その記憶や思い出がこころの糧となり、その人を守るものとなるのだと思う。