月に1回、スタッフと一緒に勉強会をしている。学ぶことはたくさんあり、勉強の機会を持つことは大事だ。しかしそれだけが目的ではない。顔を合わせてお茶を飲みながら仕事以外のこともいろいろとおしゃべりすることも重要なことだと思っている。
先日の勉強会の時は、ふとしたきっかけから前室長の西村洲衞男先生の話になった。スタッフは全員それぞれに西村先生の指導を受けていたこともあって、しばしば先生の話になる。少し前に、スタッフも含めて西村先生のことをよく知っている人ばかり数名と食事する機会があったが、そこでもやはり西村先生の話になった。先生はああだったこうだったと話は尽きず、皆でしゃべって笑って大いに盛り上がった。
西村先生が亡くなられてもう4年以上が過ぎた。勉強会の時、スタッフの1人が先日の食事会について、今でも西村先生のことを話してあんなに盛り上がるなんてちょっと不思議な気もしたと言っていて、その言葉がなんとなく印象に残った。
今、一緒に勉強したり、親しく話をさせてもらったりしている人たちの中には、西村先生の病、そして死がきっかけとなって関わりができた人がかなりいる。以前からの知り合いであった人の中にも、西村先生の病と死を共に経験したことで関係が深まった人たちがいる。頻繁に連絡を取り合ったり、会ったりするわけではない。しかし共通の体験を通じてつながり、それぞれに支え合い、安心感を見出しながら今に至っているのだと思う。
先日、たまたま西村先生が書かれた「臨床心理士の連帯の意義 法華経従地湧品に学ぶ」を改めて読み返す機会があった。30年以上前に心理臨床学研究に巻頭言として掲載されたものだ。私がこれをはじめて読んだのはまだ学部生の頃で、西村先生の名前は知っていたが会ったことも話を聞いたこともなかった。大学の図書館でこの文章を見つけて読み、何だか変わったことが書いてあるなと思ったのをよく覚えている。
今、改めてこの文章を読み返すと、西村先生の死を通じて関わりを持った人たち、関わりを深めた人たちとのつながりのことを考える。西村先生はこの文章の中で「私たち臨床心理士には医療のような技術も薬もない。あるものはこころだけである。それは相互の研修と協調していく人間関係によって育てられていくものである。このチームワークに支えられた心理療法のなかで、クライエントはこころの安全を保障され、成長していくことができるのである」と述べているが、先生の死後、私がまわりの人たちと経験してきたことはこういうことだったのかとも思う。
西村先生の死は指導を受けてきた私たちにとっては大きな衝撃だったが、その死が私たちのつながりの根っこである。私たちはしばしば西村先生のことを語ることで、私たちの「連帯」の原点に立ち返ろうとしているのかもしれない。改めて根に触れ、自分がどこにつながっているのかを思い出し、それによってそれぞれが自分なりの新たな一歩を踏み出すことができる。先生の死後、私たちはそのことを何度も繰り返してきたのではないだろうか。
※「臨床心理士の連帯の意義 法華経従地湧品に学ぶ」は学会の許可を得てこのホームページにも掲載しています。ぜひお読みください。タイトルをクリックすると、掲載ページにとぶことができます。