1回のカウンセリングが終わると必ず記録を書く。どの臨床心理士も必ずそうしているはずだ。河合隼雄先生がスイスのユング研究所に行った時、はじめは面接の記録を逐語で書けと言われ、書いた記録のチェックもされたが、何回かやったところでOKが出されてそれ以降はチェックもなくなったという話を確か河合先生の自伝で読んだように思う。ユング研究所のトレーニングでも記録を重視しているのだと知り、印象に残っている話だ。
この仕事を始めた当初から、記録は私にとって大きな問題だった。記録を書くにはどうしてもそれなりの時間と手間がかかる。1日に何人もの人と会っていると、記録の時間を取るのが難しくなる。しかしやはりなんとかして記録は書かないといけない。
心理士の中には面接中にメモをとる人もいる。スーパーバイザーの先生もそうしていると聞いて私も試してみたのだが、聞きながらメモ書きをすることがどうしてもできなかった。話を聞こうとすると手が止まる。メモを書こうとすると話に集中できない。みんなはどうしているのだろうと周りの人にもいろいろ聞き、それをもとにあれこれ試行錯誤もしている時に河合隼雄先生のワークショップに参加した。臨床に関することならどんなことでも質問できる時間があり、思い切って記録のことを聞いてみた。
河合先生は記録のことをテーマにして皆で話し合う場を設けてもいいぐらい重要な問題だとは言ったものの、直接どうしたらいいとは言われなかった。ただ、河合先生ご自身は面接の最中はメモを取らず、後から記録を書いていると話をされた。後から、前室長の西村洲衞男先生にワークショップで河合先生に記録のことを質問してみたと話をしたところ、西村先生からも河合先生はとても丁寧な字で記録を書いていたと聞いた。
河合先生に質問できたことで私の記録についての迷いは消えた。あんなに忙しい河合先生でも後から丁寧に記録を書いているのだ、河合先生よりはるかに時間がある私にできないはずがないだろう。そこから私も基本的には面接の最中にメモは取らず、後から記録を書くようになった。ただ、夢だけは後からではきちんと思い出せないことがあり、こんな夢を見たという話が出たらその場でメモをとるようにしている。
長年やっていれば記録のまとめ方もそれなりにコツをつかんでくる。記録の時間をどう取るかも考えて仕事をすることもできるようになった。会っている人の数は昔より増えているが、それでも今は昔ほど記録で四苦八苦するようなこともなくなった。若い時に記録についてあれこれ考え、試行錯誤しておいて良かったと思っている。
先日、語学教師の仕事をしている知人と話をする機会があった。プライベートレッスン中心に仕事をしていている人で、コロナ以降はZoomを活用してのオンラインレッスンもやっている。最近のZoomはAIを活用して、そこで話されたことのまとめを自動で作ってくれる機能があるのだそうで、作られたまとめも見せてもらった。語学レッスンなので2ヶ国語が使われての会話だが、その内容が日本語でうまくまとめられていて、こんなことも可能なのかとびっくりしてしまった。
知人は、こういったことが可能なら、例えば私がカウンセリングの後に書いている記録も、そのうちに自動的に作られるようになるのではないかと言う。そういうことも可能になる日もあるだろう。やろうと思えば、今すぐにでも可能なのかもしれない。記録の手間は省ける。正確な記録も残せる。しかし私自身はそれが可能だとしても、そうしようという気持ちにはなれないと思った。
私にとっては記録を書き終えるまでが1回の面接なのだ。実際に話を聞いているときには気がつかなかったり思いつかなかったりしたことを、記録を書いているときに気がつくこともある。それが結構大事なことであることも多く、その後のカウンセリングに活きてくることもある。
記録は記憶を頼りに話したことを後から書くもので、もちろん正確に思い出せないこともある。うろ覚えであったり、どういう話の流れでこういう話になったのかよく分からなかったりすることもある。記録である以上、もちろん正確に書くべきだ。しかし100%完璧に書くことは無理で、そのことも実は大事なことだと思っている。
記録を書いている時に思い出せないこと、あいまいなこと、不正確なことがあり、それはそれなりに意味があると感じる。しっかり覚えていることとそうでないことがあり、なぜそういうことが起こるのかを考えると、そこから見えてくること、分かることも多いのだ。自動で記録を書かせてしまうと、間違いがない正確な記録が出来上がるだろう。しかし、気がつくべきこと、考えるべきことを見落してしまう。
フロイトの初期の論文「日常生活の精神病理」は、物忘れやいい間違い、思い違いなど、日常生活における間違い(確か論文内では「錯誤」という言葉が使われていた)はなぜ生じるのかを考えたもので、フロイトはここから無意識を「発見」し、精神分析の理論を打ち立てた。ミスや間違いは意味があり、その背後に大事な何か、本当の何かがひそんでいることがあるのだ。
記録を書き終えて、1回の面接が終わる。そこまでが臨床心理士の仕事だと思う。