ぜいたくをしているなと思いながら、週末に東京に行ってきた。東京都現代美術館で開催中の「音を視る 時を聴く 坂本龍一」を見るためだ。
少し前に同じ仕事をしているある人と会った。だいぶ年上の方だが親しくさせてもらっている。その人が、会って早々にその日の朝にNHKで放映された「日曜美術館」について話し始めた。坂本龍一展の特集だったという。おそらく彼の音楽については詳しくないであろうその人が、その特集にこれほど興味を持つとはどういう内容なんだろうかと興味を持った。学生時代に少し坂本龍一の音楽を聴いたこともあったが、美しさのなかに鋭さのようなものを感じて、簡単には触れられないような気がした。とても気楽には聴けず、次第に遠ざかっていってしまったが、その人の話を聞いて、見に行きたいという気持ちが強くなった。
有名な人だし、会場はだいぶ混雑しているであろう。テレビで特集されたなら更に訪れる人が多くなるに違いない。「日曜美術館」はその名のとおり日曜日、朝の番組だが、一週遅れで日曜日の夜に再放送がある。もし見に行くならその再放送の前に行ったほうが、まだ人は少ないかもしれない、早いほうがいい、そう考えて、急遽、東京まで行くことにした。
雪の影響で新幹線に遅れが生じていたものの、無事に東京に着いた。昼食には少し早いが、もしかしたら食事のタイミングを失うかもしれないと思って軽く腹ごしらえをしてから会場に向かった。食べておいてよかった。すでに大行列で、入場するまでに50分かかると案内が出ている(チケットを買うのにも20分かかるとのことだったが、事前にオンラインでチケットを購入しておいた)。実際は40分程度で入場できたが、入ってからも、展示の多くは映像と音楽のコラボレーションで、どれも見るのにそれなりの時間がかかる。展示の数は12と少ないものの、全て見終わるまでに3時間以上かかった。
夢を意識させる作品がいくつかあったのが印象的だった。特に最初の「TIME TIME」という展示は、以前見た映画「PARFECT DAYS」に出演してインパクトのあるダンスを披露していた田中泯さんが登場していたのと、「邯鄲(かんたん)の夢」を題材のひとつに取り入れていたことで印象に残った。同じ夢に関する中国の故事ということで「胡蝶の夢」を思い出した。河合隼雄先生ご自身もどこかに書かれていたような気がするが、相談室の前室長の西村洲衞男先生からも、河合先生が「胡蝶の夢」について語っていたことがあると聞いたことがある。
「邯鄲の夢」は盧生という青年が、悟りを得ようと旅に出て、邯鄲の地で宿を取り、そこでとある枕を借りて眠ったところ栄華を極めた50年の人生を送る夢を見た、しかし起きてみるとまだ食事の支度もできていないわずかな時間だったことが分かり、一生のはかなさを悟る、というような内容で、栄枯盛衰のはかなさを例える故事となっている。それに対して「胡蝶の夢」は荘子が胡蝶になった夢を見て、自分が胡蝶になった夢を見たのか、それても夢の中の胡蝶が本当の自分であって、今の自分は胡蝶が見ている夢なのかはっきりしなくなったという荘子自身のエピソードがあって、そこから荘子の思想が展開しているのだが、一般的には夢か現実かはっきりしないというところから、やはり人生のはかなさを例える故事ともなっているようだ。
展示されていた坂本さんのメモ・ノートの内容も興味深いところがあり、私はこれまで坂本龍一という人を音楽の人と見ていたけれど、思想家としてもユニークなところがあったのだなと改めて知った。夢についてあれこれと思いを巡らせる内容が多く、河合先生と坂本さんが対談をしたらどういう話になったのだろうかとも考えた。ちょっと見てみたかった、聞いてみたかったとも思った。
予想外に時間がかかり、どこにも寄らずに行って帰ってくるだけで終わった東京行きだったが、映像と音とに浸る面白い体験だった。