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自信がない

 自信がないというのは、この仕事を始める前、大学院で学んでいた時からの大きな問題だった。

 どうしてもこの仕事がしたくて大学に入った。やる気はある。勉強もする、研究会などにも参加する、しかしだからと言って十分な経験があるわけではない。自分のやっていることがこれでいいのか分からない。自信がない、自信が持てないということを強く意識していて、だからこそどうやったら自信を持つことができるだろうかと考えることが多かった。

 大学での講義で、ある先生(精神科医)が「心理検査は医者にできないこと、心理の人だからこそできることで、だからこそ心理の人には心理検査を期待する」と話していて、できることを増やせば自信が持てるかもしれないと、心理検査の勉強には特に力を注いだ。そのおかけで、習得には時間がかかるロールシャッハテストも特に苦手意識を持つことなくやれる(心理士の中には面倒だから、大変だからとロールシャッハテストの勉強を避ける人もいるが、ロールシャッハテストはカウンセリングに役立つ知識も多く、残念なことだと思っている)。自信がないからこそ、スーパービジョンにも長く通った。そこで教えられたことももちろんたくさんあるが、それだけではなく、スーパーバイザーの先生が毎回、私に向き合って丁寧に指導をしてくれたことが今でも大きな支えになっている。あれだけ長くスーパービジョンを受けたんだから、あれほど熱心に指導をしてもらったんだから自信を持っていいはず、自信を持たないと、という気持ちにもなったりする。

 河合隼雄先生が、自分の中にいる「なまけもの」に触れた文章をどこかで読んだことがある。あんなにあちこち飛び回り、いろいろな役割をこなして本も書き、その上で最後までカウンセリングの仕事も続けられていて、どこに「なまけもの」の要素があるのかと驚くが、なまけものを見つめ、それを意識し、それとともに生きようとするからこそ、なまけものだけではない何かが出てくるのかもしれない。

 自信のなさを意識するからこそ、かえって自信をもって踏み込もうとするところが出てくるのだろうか。自信がないというと驚かれることが多い。自信のなさを何とかしようと力が入るからこそ、かえって自信たっぷり、余裕いっぱいに見えるところがあるのかもしれない。自信のなさに悩み、自信のなさに振り回され、しかし自信のなさを意識していたからこそ、それに押しつぶされずなんとかかやってこられたのかもしれない。

 長くこの仕事をしているが、経験を積んだら積んだで、それに見合った新しい課題にいつも出会う。そんな時、自分はいまどうすべきなのかと考えていると、結局は「自信」の問題にぶつかる。毎回、自信がないと思いながらも、それでも一歩を踏み出すしかないなと、迷いもたっぷり抱えながら考えている。

 

 

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