少し前に「自信がない」というエッセイを書いたが、思いの他、このエッセイを読んでくれた人が多く(閲覧者の数はいつもの倍近い数だった)、また読んで感想を伝えてくれた人も何人かいて、いつもとは違う反応があって驚いた。同じように自信がないと感じて共感してくれた人が多かったのではないかと勝手に思っているが、どうだろう。
河合隼雄先生が、得意なところではなく時に弱点で勝負しなければならないことがある、と話をされていたことを覚えている。学会のワークショップのような、臨床心理士向けの研修の場だったと思う。例えばカウンセリングにおいて大きな変化をもたらす可能性がある、転回点ともなりうるような状況に直面した時などでは、クライエント(相談に来た人)も大変だがカウンセラーの方もそれなりのパワーを必要とする。こういう時は変化が生じる可能性があるからこそ、今までになかったものが必要となることがあり、カウンセラー側もあえて自分の弱点に賭けてみるしかない、というような状況に直面することがある。それでうまくいくのか確信も持てないからこそ自分を丸ごとそこに賭けるしかなく、それが結果として思いがけないパワーが生むことがある。
こういう状況というのはめったに生じるものでもない。もちろん結果を期待して実行するようなものでもない。おそらく結果を期待して実行すれば、必ず痛い目にあうはずだ。いろいろな条件がすべて重なってそういう状況が出来上がり、もうそれ以外に方法がない、それしかない、賭けるしかないという時だからこそ出てくるパワーがあるのだ。
「自信がない」というエッセイを書いて、「自分も同じような思いがあるんです」といった感想をくれた人も何人かいた。自信がないからこそ謙虚に学ぶ姿勢が出てくるが、すでに臨床を30年近くやってきた私にとっては、自信がないという思いは腰の引けた主体性に欠けた態度にしかならない。今はもう、自信のなさは自分の大きな弱点・欠点なのだ。もう自信のなさに逃げていてはいけない。
ただ、だからといって自信のなさが消えるわけではない。自分の弱点・欠点を認めて常に意識し、考え続けることが必要なのだろう。今回、思わぬ反響を得て、弱点や欠点を通して人はつながるものなのだと実感した。やはり弱点というのは思わぬところで思わぬ力を発揮するもののようだ。